わしろぐ

ちなわし爺さんのリタイア身辺雑記 / in 秋田

願掛け石

このブログを以前から読んでくださっている方ならお分かりかと思うが、神社へのお参りは、私の好きなことの一つである。仙台市内の主な神社はほぼ行っているし、仕事や観光でどこかへ行ったときに、近くに良さげな神社を見つけると、わざわざ時間を作ってでも行ってみるくらい。

ときどき、ちょっと変わった神社なんかもあって、こういうのを見つけたときはなんか得したような、すでにご利益をいただいたような幸せな気分になって一日ハッピーなのである。

たとえば、最近ではこんな神社があった。息子が引っ越したというので、新しい住居を見に行ったときのことだ。昼を食べに出かけた先で「願掛け石」を祀った神社があるというので行ってみた。

本殿は普通にあって、これとは別の場所に、「願掛け石」は祀られている。奥まったところにあるので、気づかずに帰ってしまう人も多そう。今回行けたのは、ラッキーだった。行けただけですでにご利益ありだなw。

願掛け石は、パッと見、ちょうどいつも通勤のときに背負っているリュックサック大の石だった。

参拝の仕方が変わっていた。

  1. まずは拝殿前で普通にお願い事をする
  2. そのあとで願掛け石を持ち上げる

なんでも、その石を持ったときの感覚で願い事がかなう確率が分かるらしい。
すなわちこうだ(祀られている願掛け石の側に掲示されている説明書きにはこんなことが書いてあった)。

思っていた以上に重く感じたら、願い事がかなう可能性はそれだけ(重い)厳しいということ。
反対に思っていたよりも軽く感じられたら、願い事は案外簡単にかなうだろう。
....ま、こんな感じのことだ。

これは、やらずに帰るわけにはいかない。

まずは願い事。息子の新居での家内安全と商売繁盛をお願いしてみた。
そして、石を持ち上げてみる。やや緊張した。ただ、視覚的にイメージしていた重さは、そこまで苦労することはないだろうというくらいの重さだったのだ、.....が、しかし...。

これが想像していた以上に重かった。石を両手でつかみ持ち上げた瞬間「むむむむ....」、とまあ、そんな感じw。ただ、石に触ったからには、手も足も出ませんでした...と簡単に諦めるわけにはいかない。なんといっても、息子の家内安全と商売繁盛がかかっているのだ。私の石に対する認識のギアを2段くらい上げて「よっこらせい」と台から少しだけ持ち上げた。というか、持ち上がった...。よかった....。

石を台に戻したあとでフッと思った。これは「前途多難、やめておけ」とみるのか、それとも「気を引き締めていけ」とみるのか。

今回の私の願掛けの内容からして、後者が妥当だろう。もちろん、願掛けの内容については息子には話していない。息子にしてみたら「オヤジがまた何かよからぬことをおねがいしているよ」くらいにしか思っていないはずだ。ま、いい。私が気を引き締めて息子の身の回りのことを見守ってやればいいだけ。

そして、あとで理解した。たぶん、気を引き締めていけ、そうすれば大概のことは無難に進む、「願掛け石」の一連の作法、意味(趣旨)はそこにあるんだろう...と。


(スッと持ち上げられますように.....と)