わしろぐ

ちなわし爺さんのリタイア身辺雑記 / in 秋田

マイカーを手放して2年ちょっと、メリットしかないけど...?

90過ぎのジイさんが人をはねて死なせてしまったなどというニュースをみると切なくなる。係官に移送車へ乗せられるときの足取りがおぼつかなかったりするのを見ると、そんな身体で運転してたのね....と改めて恐くなってくるが、移動手段であったり、運搬手段であったり、どうしても車を運転しなければならない事情があったのかもしれない...。しかし、「だから許される」とは言えない。そこが切ないし、悩ましいのだな。完全自動の車でも出来ない限り、自分の手足の代わりとして使うには車は凶暴すぎる。

私の場合は、身体はまだ自由に動く。なので、免許は返納していない。ただ、マイカー(以下「車」という。)はとっくに手放した。かれこれ2年になる。運転して他人に迷惑をかける心配は格段に減ったことになる。早いね、もう2年…。
ただ、正直、ぜんぜん不便を感じていない。強がりでもなんでもなく。カミさんの不満も今はない。強いてあげるなら、お気に入りのうどん屋さんが離れた場所にあって、ちょっと食べに行きたいなあというときにタクシーでもないし、レンタカーでもないよなあ....と躊躇してしまうとき、車があればなあ...と思わないこともない。それでも本当に行きたいときはバスでいく。

今では、車を持ってたら「こうはいかなかったろう...」ということの方が断然多くなってきた。思いつくままあげてみた。

車本体、保険、車検、駐車場、タイヤ代などの車関係の出費がなくなった。

これは一番実感しているね。実家に帰省したり、ちょっとした運搬作業でレンタカーを使うことはあるが、そんな出費など車の維持費に比べたらぜんぜん問題にならない額なのだな。

冬のタイヤ交換の手間がなくなった。

これは冬になると感じるね。40を過ぎた頃からもっぱらガソリンスタンドで交換してもらっていたが、その出費はともかく、タイヤを持ち込む手間がけっこうきつかった。冬の交換、春先の交換、それがなくなったから実に楽ちん。

昼から好きなときに自由なタイミングでアルコールが飲めるようになった。

車があるときは、いつ使うか分からないからと昼からアルコールを飲むことはなかったし、そもそも車で出かけている場面が多かったので、帰りのことを考えると飲めなかった。その点、今は公共交通機関であったり徒歩で行くことが多いから、ぜんぜんそっちの心配はない。

よく歩くようになった。

これも実感しているし、シニア世代にはもっとも大きな要素のような気がしていたり。車があったころは、土日はほとんど歩かない人だったけど、今では土日の方がよく歩く。実に健康的な生活になったと感じる。

行動範囲が逆に広がった...

...気がする。今までは駐車場がないからとか、満車でとめられなかったからとか、車の入れない道だからとか、行けずじまいで終わっていたところに、最近は、「ようやく行けた...」ということが増えてきた。車は便利だけど、〈足かせ〉になっていた面もあったなあと感じる今日このごろである。おもしろいね。

「迎えに来て!」がなくなった。

車があったころは、カミさんからの「迎えに来て」コールがよくあったものだ。何はさておいても迎えに行くのだが、車がなくなった今は自分で勝手に帰ってくる。この負担軽減も馬鹿にはできないw。

けつろん

これはまあ私の場合ということだ。上にあげた感想などは、私自身、車が「(単なる)移動手段」くらいの位置づけだったから感じることかもしれない。
〈大の車好き〉という人にとっては、車を持つこと自体が特別なことであって、上にあげたようなことは逆に些細なことで、車の無い生活なんて考えられない、という感覚なんだろう。
ま、〈人それぞれ〉という結論は、何事においても同じであるということだなw。

会員になっているレンタカー会社が年明けからカーシェアを始めるらしい。スマホで予約するだけで好きな時間に使えるというから、ダテバイクのような感覚で車が使えるイメージだろう。検討したい。